貝原益軒(1630-1714)の「養生訓」に李
振出し薬と丸剤の大きさ
富山県薬剤師会理事 大橋 清信
(1)室町時代末頃、多くの
漢方でいう湯剤は、細切した生薬に一定量の水を加えて加熱し一定時間後にろ過して、一定量を分服するのであるが、元来、水から煮るのに時間を要するが、水が生薬に十分に浸入して薬物を溶出しやすくする。また、直接熱湯を注ぐ時は表皮が固化して水の浸入を妨げ、内容成分の溶出を妨げる反面、揮発性の有効成分の揮散を防ぐ利点がある。
このため、振出し薬は、400年前に今日のティーパックの先駆けをなしており、先人の創意工夫に敬意を表せざるを得ない。
その後、江戸期には喜谷実母散、赤井竜王湯、安栄湯など同類が続き、富山の配置薬でも重要品目として引き続き顧客の愛用を受け、大正初期の営業案内には七気湯など見られたようである。
是、
六神丸、救命丸、感応丸、如神丸、赤玉はら薬、八味丸などの丸剤の大きさには、それぞれの根拠があるわけである。あらためて先人の智慧を思う始末である。
<参考文献>貝原益軒 「養生訓」7、8巻
画像協力:中村学園大学図書館
(2)五臓六腑と云えば、「肝・心・脾・肺・腎」の五臓と、「胃・胆・小腸・大腸・膀胱に加えて三焦」の六腑を云う。漢方特有の三焦は実態を伴わない病気の部位を示す概念であり、解釈に幾多の変遷があったようだが、近代医学的に病気の徴候の部位を示す概念として、知覚及び自立神経の末梢分布に応じて頭部、頚項部、上肢・胸部を横隔膜を境に支配するを上焦と呼び、横隔膜より臍(へそ)の部分に至る上腹部とその背部を支配するを中焦、さらに下腹部及び下肢を支配するを下焦と呼ぶのが定説のようである。
中国の北宋時代末期に「太平恵民和剤局方」が刊行され、当時民間において効能の著しいとされる湯剤、丸剤、散剤の代表的薬方を収載した。丸剤の大きさが細麻大、麻子大、小豆、梧桐子大、弾丸子大などと示されているが、